QSV 20121006
2012年10月6日 土曜日 by かわもと眼科院長朝晩はめっきり寒くなりました。
先日NHKのクローズアップ現代を見ました。伊藤穣一氏が出ていました。46歳。私と同じ年ですが,彼は昨年MITメディアラボの所長に抜擢された異才です。伊藤氏は長年,アメリカはじめ各国で仕事をされていましたが,番組を見ていいて面白いことに気がつきました。番組の中で所々にカタカナ語が出て来ます。カタカナ語がわからない我々のために,番組ではそこに日本語訳を当てはめたテロップを出してくれます。我々にはそのテロップの日本語訳の方がしっくり来るのですが,彼はそのカタカナ語を日本語に上手く置き換えることが出来ません。その代わりその言葉の意味や概念を簡単な日本語で解説します。
この場面を見ていて「はっ!」と気がつきました。大学の頃ドイツ語を教えている先生が「二十歳以前に母国語以外の言語の習得に多大な時間を費やしてしまうと,複雑な抽象的な思考が出来なくなる」と話されていました。この言葉を私は思い出しました。伊藤氏は早くから日本を飛び出して海外で生活していました。日頃から英語で考え,英語でコミュニケーションする環境で暮らすために,母国語である日本語特有な概念語が出てこないのだ!とその番組を見ていて思いました。
決して非難している訳ではありません。私が言いたいのは自分がどんな仕事をするのか?あるいはしているのか?その仕事は母国語を使って,複雑で抽象的な概念を必要とするのか?あるいはもっとグローバルで最大公約数的な言語で勝負できる仕事なのか?ここの見極めが大切なのだと思いました。伊藤氏は最大公約数的な言語を使って生きる世界を選択したのだと思います。
英語の必要性,とりわけ日常英会話等の必要性が取り上げられることが多い世の中ですが,すべての子供にそのような学習は必要ないのだと私は思います。外国語がしゃべれるにこしたことはないでしょう。でもそれは程度の問題です。母国語での複雑で抽象的な思考を必要とする職業を選択しようと考える人にとっては,早くから外国語の習得に時間を割くことは,あるいは有害かもしれません。
番組の中で伊藤氏が,「一所懸命」に働くことの意義を話されていたのは印象的でした。彼も一所懸命に働いたのです。私たちも一所懸命に働かないといけません。
QSV: Quest for Super Vision(究極の見え方の追求)
ドラのんた:毎週金曜日午後6時半からFMわっしょい(76.7MHz)で放送中